「その時、人生が走り出した」
STARTED MY NEW LIFE
大海原のうえ、船は力強くぐんぐん走る。
この大きな船をひとつの会社ととらえるならば、
自分たちのやり方であたらしい仕事の地図を描く
社員もまた、
ひとつの船といえるだろう。
「ヴェゼルに出会い、人生が走り出した」。
ーそんな5人の社員の“今とこれから”を、
インタビューでお届けします。
SHINGO URATA
浦田 真吾
ヴェゼル株式会社 相談役/ヴェゼルワークス株式会社 取締役
代表の枝元と常にあたらしい事業のリサーチ・市場調査を行い、事業拡大の検討をしていくのが主な仕事です。枝元とは、お互い学生時代に派遣の仕事で知り合いました。僕が派遣スタッフのとりまとめ役だったのですが、色々なスタッフを指導するなかで、「コイツめちゃくちゃ金に細かいヤツだなあ」と(笑)。それが第一印象です。僕は卒業後特にやりたいこともなく、「就職しなくてもどうにかなるのでは」という考えでいました。会社員として働くイメージがつかなかったんですよ。それでも2〜3年はそこに在籍したんですが、あまりやりがいを感じられなくて。そんな時にふたたび出会ったのが枝元でした。「これからどんなビジネスが流行ると思う?」―気づけばそんな話をしょっちゅうするようになってましたね。
それに対する僕の見解としては、まず人材派遣はこれからもっと伸びるだろうということ。それから前職でシングルマザーの方を含む女性の派遣スタッフさんを多く見ていたこともあり、会社に保育園があったらもっとみんな働きやすくなるし、離職率も下がるよね、ひとりひとりを大事にできるよねと。そうこうしているうちに「企業主導型保育園」というものがあると枝元が調べてきて。これだ!と。そんな話から1年後、本当に派遣と保育事業を運営する許可がおりた。そのための資金を調達してきたときに、枝元の事業に対する本気を感じたんです。だったら、ついていくしかない。支えていくしかない。パートナーとして駆け抜けようと覚悟を決めました。「世の中の“困りごと”を解決する」「必要な人に、必要なものを提供する場をつくる」ことはブレずに、少しずつ事業の幅を広げながら現在に至る感じです。
人×人のチカラの最大化を信じて
バトンをつないでいく
最初は九品寺の小さな雑居ビルからスタートして。夜な夜な、枝元と2人でずーっとPCに向かいながら。「いつかここから抜け出そうな」って言ってたのを思い出します。創業当時は僕も朝から晩まで現場で働いて自分の食い扶持を稼いで(笑)、そこからやっと事務所に戻って、深夜まで働くのが日課。1年ほど経ったときに、やっと1人社員を入れることができました。「ヴェゼルの派遣スタッフさんはいいよね」と言ってくださる取引先さんも増えて。ほんとうに小さな実績を積み重ねて、少しずつ事業が大きくなった感じなんですよ。
仲間の数は3桁をこえ、「(株)iette」や携帯修理の「修理工房」、「さるクマ」など、色んな事業をとおして雇用を生んでいます。この2年半はコロナ禍ではありましたが、会社が成長し続けているおかげで、後輩たちにどんどん“次のバトン”を渡せているとも思います。高卒の子を含め毎月のようにあらたな仲間が増えることで、若いスタッフの意見や発想をどんどん取り入れるようになったとかなと。僕は0→1が得意なほうで、そこからのジャンプアップは、まわりの仲間たちがしてくれる。少しずつ、その体制が育ってきています。
うちはひとの数だけビジネスのチャンス、事業のチャンスがある会社。それでもまだまだ成長段階。動き続け、もがきながら、「これあったらいいな」を考え続けていく会社でありたいと思っています。もちろん、自分たちのためにも。
※所属や役職は、2022年8月時点のものです
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